交換樣式 A・B・C・D
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帝国の構造: 中心・周辺・亜周辺 | 柄谷行人 |本 | 通販 | Amazon
カール・ポランニー - Wikipedia#社会統合のパターン
交換樣式 A : 互酬制
互酬 - Wikipedia
贈與 - 返禮
勝負。負ひ目。負債
組 (法・市・組) (←→取り引き cost)
交換樣式 B : 收奪と再分配
再配分 - Wikipedia
服從と保護
能力に応じて働き、必要に応じて受け取る - Wikipedia
敬虔 (pietas)
危険を除く
法 (法・市・組) (←→agency slack)
再分配される側からすれば交換であり、收奪される側からすれば交換でない
橋爪大三郎「權力」2023/4/12橋爪大三郎「權力」2023/4/12.icon
交換樣式 C : 資本制
売買 - Wikipedia
カール・ポランニー - Wikipedia#交易、貨幣、市場の定義
非市場経済 - Wikipedia#非市場経済の貨幣、交易、市場
値附け
賭け
市 (法・市・組) (←→市場外部性)
教へる - 學ぶ (原始偶然)
複利 : 利子、利子の利子、…
觀念の觀念。自己言及の自己言及
交換樣式 D : 原遊動性 U
「交換樣式 A の高次元での恢復 (assosiation)」は交換樣式 A であり交換樣式 D ではない
純粹贈與
喩
Hayden V. White「メタヒストリー――一九世紀ヨーロッパにおける歷史的想像力」1973Hayden V. White「メタヒストリー――一九世紀ヨーロッパにおける歷史的想像力」1973.icon
享樂。死の欲動
破局 (catastrophe)
遊行
table:交換樣式
交換樣式 A 交換樣式 B 交換樣式 C 交換樣式 D
互酬制 收奪と再分配 資本制 原遊動性
組 (法・市・組) 法 (法・市・組) 市 (法・市・組)
hegemony ideology economy
活動 仕事 勞働
統治の倫理 市場の倫理
古代人の自由 近代人の自由
贈與と返禮 純粹贈與 交換 純粹消費 (蕩盡)
無(無)
蚊居肢: 国民国家と帝国の原理(山内昌之・柄谷行人)
帝國 (empire)←→帝國主義
Johari の窻
政治の二つの力
言の葉の交通論 (五柳叢書) | 篠原 資明 |本 | 通販 | Amazon
單交通
雙交通
反交通
異交通
市場の倫理 / 統治の倫理
市場の倫理 統治の倫理 (ちくま学芸文庫) | ジェイン ジェイコブズ, Jacobs,Jane, 泰, 香西 |本 | 通販 | Amazon
運鈍根
近代人の自由 / 古代人の自由
近代人の自由と古代人の自由・征服の精神と簒奪 他一篇 (岩波文庫) | コンスタン, 堤林 剣, 堤林 恵 |本 | 通販 | Amazon
愛と経済のロゴス カイエ・ソバージュ(3) (講談社選書メチエ) | 中沢 新一 |本 | 通販 | Amazon
純粹贈與 (現實界 R)
R > S
資本 (男根享樂$ J\Phi)
投資、利子 (複利)
債務貨幣
力←→畏れ愼む
實踐的主體 (實踐理性)、超自我$ S(\cancel A)
交換 (象徵界 S)
S > I
商品 (意味$ Ja)
去勢$ -\varphi=\Phi
公共貨幣
理論的主體 (純粹理性)、自我理想$ I(A)
贈與と返禮 (加→←持) (想像界 I)
I > R
純生產 (增殖、女の享樂$ J\cancel A)
移行對象$ a
愛
美的主體 (趣味判斷)、理想自我$ i(a)
純粹消費 (無の享樂$ \cancel J)
蕩盡 (consumation。consommation)
愛←→赦される
無意識 (Ubw)の主體
。
「身體 = 有機的自然」と「自然 = 非有機的身體」との交換
技術
呼び掛け - 應答 (純粹贈與 - 贈與)
挑發 - 徵發 (純粹贈與 - 交換)
蚊居肢: 阿呆の国と反デモクラシーのパララックス
Friedrich Wilhelm Nietzscheが忘れている括弧外し
《「然り」〔Ja〕への私の新しい道。--私がこれまで理解し生きぬいてきた哲學とは、生存の憎むべき厭うべき側面をみずからすすんで探求することである。(中略)「精神が、いかに多くの眞理に耐えうるか、いかに多くの眞理を敢行するか?」--これが私には本來の價値尺度となった。(中略)この哲學はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーあるがままの世界に對して、差し引いたり、除外したり、選擇したりすることなしに、Διόνυσος 的に然りと斷言することにまでーー(中略)このことにあたえた私の定式が運命愛〔amor fati〕である。》(ニーチェ『力への意志』)
ニーチェは『道德の系譜學』や『善惡の彼岸』において、道德を弱者の ressentiment として批判した。しかし、この「弱者」という言葉を誤解してはならない。實際には、學者として失敗し梅毒で苦しんだ二ーチェこそ、端的に「弱者」そのものなのだから。
彼が言う運命愛とは、そのような人生を、他人や所與のせいにはせず、あたかも自己が創り出したかのように受け入れることを意味する。それが強者であり、超人である。が、それは別に特別な人閒を意味しない。運命愛とは、カントでいえば、諸原因(自然)に規定された運命を、それが自由な(自己原因的な)ものであるかのように受け入れるということにほかならない。それは實践的な態度である。
ニーチェがいうのは實践的に自由な主體たらんとすることにほかならず、それは現狀肯定的(運命論的)態度とは無緣である。ニーチェの「力への意志」は、因果的決定を括弧に入れることにおいてある。
しかし、彼が忘れているのは、時にその括弧を外して見なければならないということである。彼は弱者の ressentiment を攻撃したが、それを必然的に生みだす現實的な諸關係が存することを見ようとはしなかった。すなはち、「個人は、主觀的にはどれほど諸關係を超越していようと、社會的にはやはり諸關係の所產なのである」(マルクス)という觀點を無視したのである。(『トランスクリティーク』第一部第3章)
パララックス・ヴュー
Georg Wilhelm Friedrich Hegelがおこなったカントについての基本的な修正は、したがって、次のようなものである。理性の三つの領域(理論的・實践的・美的)は、主體の態度の移行、すなわち「カッコに入れること」で出現する。つまり、學の對象は、道德的判斷と美的判斷をカッコに入れることで出現する。道德的領域は、認識的–理論的關心と美的關心をカッコに入れることで出現する。美的領域は、理論的關心と道德的關心をカッコに入れることで出現する。たとえば、道德的關心と美的關心をカッコに入れるなら、人閒は、自由ではない、因果的關聯に全面的に條件づけられたものとしてあらわれる。逆に、理論的關心をカッコに入れるとすれば、人閒は、自由で自律的な存在としてあらわれる。したがって、もろもろのアンチノミーは物象化されるべきではない ― アンチノミーをなす複數の立場は、主體の能度の移行によって生みだされる。柄谷の畫期的成功は、しかしながら、そのようなパララックスな讀みかたをマルクスに適用したこと、マルクスその人をカント主義者として讀んだことにある。 (ジジェク『パララックス・ヴュー』)
以前に私は一般的人閒理解を單に私の悟性 Verstand の立場から考察した。今私は自分を自分のでない外的な理性 äußeren Vernunft の位置において、自分の判斷をその最もひそかなる動機もろとも、他人の視點 Gesichtspunkte anderer から考察する。兩方の考察の比較はたしかに強い視差 starke Parallaxen を生じはするが、それは光學的欺瞞 optischen Betrug を避けて、諸槪念を、それらが人閒性の認識能力に關して立ってゐる眞の位置におくための、唯一の手段でもある。(カント『視靈者の夢 Träume eines Geistersehers』1766年)
Gilles Deleuze「カントの批判哲學」1963Gilles Deleuze「カントの批判哲學」1963.icon
資本 = 國家 = nation
資本 C = 國家 B = nation (同朋) A
歷史の終はり
amazon.co.jp/新版-歴史の終わり〔上〕-歴史の「終点」に立つ最後の人間-佐々木-毅、amazon.co.jp/新版-歴史の終わり〔下〕-「歴史の終わり」後の「新しい歴史」の始まり-佐々木-毅
Danmark 化